食べる 描く 読む 女

よく食べ、よく描き、ほどほどに読み、たっぷり眠る動物好きなOLの日記

わかりあえないということを受け入れるために

仕事中、久しぶりにきついクレームの電話を受ける。どんなに言葉をつくしても消化しきれない怒りを、電話の向こう側から感じた。ぎりぎりのところでせき止めていたその人のストレスが、一気にあふれだしたような、理不尽で、理解ができなくて、でもかわいそうな電話だった。(あえて見下すような表現をするのは、自分のなかにわき上がった怒りや悲しみ、混乱を鎮めるため必要なことだと思う。)
鞄から携帯も取り出せないくらいの満員電車。ドアが開いて降りるとき、腰のあたりをぐいぐいと押されて、頭の中がチリチリとするようないらだちを感じた。
すれ違いざま、少しだけぶつかった人に舌打ちされる。その瞬間の顔が熱くなるような、恥ずかしさというか怒りというか、悲しみというか。

いくらご機嫌に過ごしていても、いつなにが起こるかわからない。
他人の怒りや悲しみや、理不尽をなるべく避けて生きていきたいと願う。
でも、もしご機嫌のいい人たちだけを集めたコミュニティに入ったとしても、きっとその場所にはその場所なりのドロドロとしたなにかがあるのかもしれないとも思う。
それに、私がそのドロドロになってしまう可能性も充分にあるのだから。

本当にたくさんの人がいる。
たくさんの人はそれぞれ個性があって、気持ちのムラがあるのは当然だ。
だから決して人はわかりあうことができないと、いろんな人が話すし、本や映画でも語り尽くされてきたことなのだろう。
それでもその「わかりあえない」ということについて、足がすくむくらい怖くなってしまうときがある。
そう感じるのは、先に述べたような出来事に遭遇したときだ。

強くならなければならないのだと思う。
強くて、優しくならなければ、すぐに辛くなってしまう。

だから何かに備えるように、最近は走ったり泳いだりしている。
絵を描いたり、本を読んだり、何かを作ったり、勉強したり。
自分磨きというよりも、辛いことが起きてもちゃんと元気になれるようにという願いもあるのだろうか、というのが最近の気づき。

お手紙

*前回書いた、人と別れてしまった記事ですが、自分のこととは言え読み返すとつらく、下書き状態に戻しました。せっかくスターをつけてくださったかたがいたのに、申し訳なく……。でも励ましかな? と思うと、とても嬉しかったです。ありがとうございます。

 

中学の終わりくらいにはじめてブログを書き始めてから、もう15年弱くらい経つ。文章を書くことが好きだったというよりも、文章で自分の気持ちを“誰かに見てもらう”ことが好き、というか心のよりどころだった気がする(もう記憶が曖昧だけれど)。

 

今はもっぱらTwitterで、140文字のなかに思いをぶつける! なんてことはせず、今日食べたものや作った料理、当たり障りのない景色なんかをつぶやいている。日々の生活にすっかり織りこまれた「つぶやき」という行為の根っこにあるものが、10代からなんら変わらない「誰かに見てもらうことへの欲求」なのだろうと、少し恥ずかしくなる。

 

Facebookもやっていて、私のタイムラインには日々いろんな情報が流れてくるけれど、それこそ私がつぶやいていることと変わらない(ちなみにFacebookはあまり利用していない)。何を食べた、どこへ行った、誰と遊んだ、何を学んだ……とか。仕事の関係でフォローし合うことが多いせいか、年配の男性がちらほら友達(?)で、先に述べた当たり障りのない日常を更新しているのは、彼らが多い。偏見もあるかもしれないけれど、Facebookの年齢別ユーザー数が40代以上と聞くと、あながち間違っていないのかもしれない。あのエラいひとたちも、「誰かに見てもらいたい」と強く思っているのだろうか。

もう世間では議論しつくされていることだけれど「誰かに見てもらいたいことへの欲求」について、自分のなかでもう少し考えてみたい。「お母さん見てみて!」的な幼い頃からのものなのか、年齢を重ねるにつれて強くなっていくものなのか。

 

私のブログは、小さな島で、誰に届くでもない手紙を書き続けている感じに似ている。(その島は、イメージでいうとパイレーツ・オブ・カリビアンジャック・スパロウ島流しになった場所だ。綺麗だけど、本当に何もない。)

たまにお返事があったりして、そしてときどき島にやってくる人もいる。そんな奇特ですてきな人たちと、お話したり、お茶したりする。それからみんな、それぞれの島へ帰っていく……みたいなイメージだ。

そこには「誰かに見てもらいたい欲求」とは別の、もっと無邪気で、無意味なものだと思う。無意味という言葉が適当ではないと思うけど、例えるとお菓子のおまけにあるプラスチックのフィギュアやキラキラ光るシールみたいな感じ。

 

そんな小さな気持ちをひっそり隠しながら、今日も誰かに手紙を書いている。

 

祈りのような

30を目前に迎え、最近ますます絵を描くことが好きでよかったと思う。

うまいとかへたとか、賞を取ったとかとらないとか関係なく。

日々を過ごすなかで、仕事がつらくなっても、好きな人とうまくいかなくなってしまっても、絵を描くということは、冬の星みたいに私の中にあって、遭難せずに済んでいるような気がする。何にもなくなっても、描けるんだよと言われているような。

 

先のことを心配して立ち止まってしまうことも多いけど、描きたいものがまだあるから大丈夫。したいことも、会いたい人も、行きたい場所も、食べたいものも、読みたい本も、ほしいものも一つ一つ叶えていけば、怖いものなんて何もないんだなと思う。

 

2月に読んだ本。結構読んだつもりでも、まだ読みたい本があって困る。

 

 

東京モンタナ急行

東京モンタナ急行

 

 

 

 

 

カブールの園

カブールの園

 

 

 

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 

 

 

80's エイティーズ ある80年代の物語

80's エイティーズ ある80年代の物語

 

 

 

 

遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫)

遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫)

 

どうかーー愛をちょっぴり少なめに、ありふれた親切をちょっぴり多めに

スラップスティック』より

 

 

食事と戸棚の奥

最近諸事情でお弁当を作っていないのだけど、夕飯で色々と試行錯誤している。

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今日はアスパラと舞茸の粉チーズ炒め。わざわざ写真で見せる必要もないけど、昨日いいお皿を買って、使ってみたくて。

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あと最近はカレーばかり作ってる。今回はバターチキンカレー。色々スパイスを使ってみるけど、深みにはまだ遠く。レシピ通り作っても、まだまだ研究の余地がある世界で楽しい。

 

料理や読書、最近はランニングなんかも始めて、独身生活を謳歌しているようだけど、ときどき突発的にさみしさやかなしみがやってくるときがある。本当突然に。

ホルモンバランスも落ち着いている時期で、お天気も良いのにだ。正体不明のかなしみに襲われてしまったあと、それらの感情の根っこを考えてみる。幼少期の思い出なのか、読んだ本なのか、そのときは気づかなかった誰かに言われた一言なのか……どれも合っているような気がするし、的外れのようにも思う。

戸棚の奥から、突然湧いてくる虫みたいだ。

奥のほうで、なにかが腐ってるのだろうか。

 

書いてみること

久しぶりにブログを開いたら、去年の4月から更新していなくて、驚いた。

更新が途絶えていたにも関わらず、「今月のPVがいくつ超えました」というお知らせを見て、誰かがときどき訪れていることにも。

もう誰も住んでいない村にひとつだけあるポストを、今も郵便屋さんが確認しに来てくれるようなそんな気持ちになった。

 

この1年弱本当にいろいろなことがあって、毎年「いやーいろいろあった1年ですな。あははは。」と言っているような気がするけれど、そんな今までの1年とは比にならないくらいいろいろあった。

人間関係も、環境も、仕事も、私自身の心境も、思いつく限りほとんどのことが変わった気分だ。それが良い方向へ舵をきっているのだとしたらいいのだけれど、先のことなんてわからないから、ただ祈ることしかできなくて、雑誌の最後のページやWEBにちょこっと載っているような占いを、思わず読んでしまうことが増えた。それも変化のひとつなのかもしれないけれど。

 

頭のなかではいつも会話がおこっていて、もう30歳も近いのに、ときどき頭に詰まった言葉で酸欠を起こしてしまいそうになる。思春期のときとはまた違った、いつもにぶい苦しさみたいな。

でも、もしかしたらそれらの言葉を残しておいても良いのではないかとふと思った。読んだ本や見た映画の記録でも、ポエムでも、世間に対する意見でも。

 

 

優しい鬼

優しい鬼

 

 同じ日本語なのに、漢字をひらがなに置き換えたりするだけで、言葉がちゃんと人格をもって活き活きとして見えるから、びっくりした。言葉の使いかたで人格を与えるというよりも、形そのものを変化させて、個性を出すというか。すごいなーと思う。

ただ苦しくて、「それはないぜ」と思うくらい残酷だった。進むことも退くこともできず、藻に覆われて酸素がなくなって死んじゃう水槽の中の魚みたいに。ただ、読んでいる間は、表紙にある写真のような、昼間のぼんやりとした冬の光のなかにいるみたいで気持ちがよかった。

今日のお弁当

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ウインナーのケチャップ炒め、卵焼き、ブロッコリーのチーズ焼き、ポテトサラダ(ジェノバソース)

 

「ウインナーがタコの形になっててかわいいね」と、会社の先輩に声をかけられた。タコの形にすると、美味しくなる気がする。足の縁が、カリカリに焼けるからだと思う。

 



この間のお弁当

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牛肉とピーマンとパプリカのオイスターソース炒め、マッシュルームアンチョビ、卵トマト炒め

 

先週のお弁当。意識的に野菜を取り込んでみた。マッシュルームアンチョビは、完全に酒のあてだ。